日記(2023/11/11)

2023/11/11

同僚と飲んでいると「和歌山の旅行って良いですよね、熊野古道とか」という話になってちょっとドキッとした。なぜかというと、その前日にも全然関係ない友達と飲んでいるときに「和歌山は熊野古道あるしね」みたいな話になったからだ。2日連続で熊野古道、というか和歌山の話題が出ることある?そして自分はなぜか熊野古道といえば和歌山ではなく三重の名所というイメージを持っていたので、「え、熊野古道って和歌山じゃなくて三重じゃないですか?」という話を2日連続でして、2日連続で「いや和歌山でしょ」という反応をされてしまった。実際、地図で見れば三重よりは和歌山のほうへの広がりのほうが大きいのだけど、1日目の段階ではきちんと認識を改められていなかった。ちゃん自らを即座に振り返ることができていれば、2日目に同じ愚論を呈さずに済んだのに。

飲みながら「なぜ YouTube のゲーム実況配信などは、顔を出すか出さないかで再生数が大きく変わるのか」という話をしていた。その命題の真偽は知らないのだけど、主に「ゲーム実況の配信に人間の顔は不要では」「インターネット老人的には顔出しとかありえない」を唱える友達に対して「シンプルに情報量が増えて楽しいからでは?」とか「声が入ってるなら顔が入っててもいいんじゃない?」とか、なぜか擁護を繰り返す人になっていた。話してるうちに「自分はインターネット文化にアイデンティティがなく、いわゆるインターネット老人ではないのだな」ということを改めて認識した。なんかインターネットオタク文化圏の人間だと思われがち(たぶん)だけど、2ちゃんねるもたいして通ってないし(Studio MOMO には通ってたし、ホームページを作ったりはしてた)、ニコ動も通ってないし、MMO も通ってない。いろんな文化をちょい噛みして上澄みだけ掬って頂いているだけの薄っぺらい人間なんだなあと、意味もなくダウナーになってしまった。

ちなみにその話は「テレビにおける芸能人のワイプは不要。なぜなら彼らは何もしていない観客側の人間なので、我々からすると情報量が増えていない」「じゃあ「ゆっくり解説」に霊夢と魔理沙の顔は不要なのかと言われると、そう言われるとなんかわかる気がしてきた」というところに議論が落ち着いていった。